2016年02月03日
乙ちゃんうどん
高校卒業して四国へうどんを習いに行き20歳の時に恵味うどんで手打ちを始めました。
その頃手打ちうどんは馴染みがなく当然お客さんから待てない!会社の休憩時間が終わる!など散々お客さんに言われる中、うちの叔母ちゃんが甥っ子が四国で修行してきたので…と……。
僕はそんな事もさておいて習ったままのやり方でしかうどんが出せず、しかもお客さんから注文受けて湯がき出すので15分いやそれ以上時間がかかりうどんを出していました。
今思うとよくみんな待ってくれたなぁ〜と思います。試行錯誤しながら10年くらい経って段々と今の様な細いうどんになってきだした頃はうどんじゃなかばい!とか、こりゃなんね?など言われながらそれでも湯がきたてのうどんを出す事を変えず出していたので四国で習ったうどんとは正反対のうどんだったし。。相当悩んでました。(それはそれは言えない程の家族問題でした。。)今でこそ普通になってますが…その頃、福岡の人は、手打ちうどんなど馴染みがなく、ましてや注文受けて湯がくげな?商売になると?まで言われての毎日だったのでそりゃ自信などあるわけなくただひたすらうどんを打つしか方法がありませんでした。
そんな時、市政だよりに載っていた記事を母が切り抜いて見せてくれたのが 江頭 光 さんの「乙ちゃんうどん」の記事でした。。
明治時代、博多に 「乙ちゃんうどん」 といううどん屋があり、そうめんの様に細いうどん、湯がきたてを出していた。。。
この記事読んだ時僕ら家族がどんだけ救われた事か…今でも忘れません。(なんせ何処探しても無いんですからっこんな「うどん」が…。)
乙ちゃんのうどんに対しての心意気がなんか伝わってきてやっぱ間違うとらんばい!と、博多にもあったんや!と、勇気ずけられこれでいこうと決めました。
(母が江頭さんにこの事をお礼してお手紙かいて江頭さんからお返事が来ていた事をだいぶたって知りました…。)
僕にとって 「乙ちゃんうどん」は、深〜い意味があるわけです。
僕も20年越えてうどん打ってるので…乙ちゃんうどんを語ってもよかろうもん!と、思うのであります。
人のやらない事 とか…オリジナル…とか…変わっとう…お店
って よく耳にしますが…。一生懸命やるとこうなってしまう職人さんのお店が今より博多にはいっぱいあったわけで…、それが博多の文化でもあり、面白い!。と、思いますー。
頑張れ!恵味うどん!。48周年!。頑張れよ!さとし!。
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Posted by 恵味うどん at 01:25│Comments(0)
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